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慰霊巡拝

東部ニューギニア慰霊巡拝団派遣事業報告(2017年8月)

長野県ニューギニア会は、東部ニューギニア慰霊巡拝団の派遣を平成29年8月23日から30日まで8日間の日程で実施した。

今回の訪問団員は総勢10名で、栃木県護国神社との共同催行として実施した。
長野県からは荻原光彦さん(上田市)山岸靖志さん(軽井沢町)本田昌彦会長(青木村)の3名、山岸幸子さん(東京都)竹沢一重・キヨ江夫妻(鹿沼市)岡山県から秀平良子さん(笠岡市)藤原信子さん(倉敷市)の2名、中山郁・栃木県護国神社宮司、片桐(株)WBC添乗員が参加した。

慰霊巡拝団は、成田空港からニューギニア航空の直行便で首都・ポートモレスビーからウエワクへ移動し、平和公園慰霊の森にて全ニューギニア戦没者の合同慰霊祭を執り行った。ウエワク、マダン、ハンサではゆかりの肉親が眠る戦没地を巡り、慰霊式を行った。巡拝に合わせて現地の学校・小中高3校を訪問して学用品などを贈り、日本とPNGの友好親善に努めた。

第38回 東部ニューギニア慰霊巡拝報告
(平成29年8月)

派遣団長
長野県ニューギニア会長 本田 昌彦

■ はじめに

長野県ニューギニア会による現地慰霊巡拝は、昭和52年から始まり今回で38回となりました。
今回は遺族関係者は8名で少人数の訪問団となりましたが、1人を除き皆経験者で現地の事情にも詳しく日程を順調に進めることができました。

期間中は好天に恵まれ、例年に比べ気温・湿度も低く、特有の蒸し暑さもなく、日程を予定どうり消化して所期の目的を十分に果たすことができた旅でした。

以下、日程に従い概略ご報告いたします。

 

8月23日(水)
成田空港 午後9時15分ニューギニア航空直行便にて一路ポートモレスビーへ(機中泊)

 

8月24日(木) ポートモレスビー~ウエワク
早朝5時ジャクソン国際空港に到着 キナに両替、1キナ40円、国内線乗り継ぎ手続き後、ポパナ戦没者墓地からココダトレール記念碑に向かう。

(この地はニューギニア戦初期、南海支隊がパサブアから陸路オーエンスタンレー山脈を越え、ポートモレスビー攻略を目指したルートで、険悪な山岳地帯で連合軍との激しい戦闘により多くの戦死者が出た地域。約100キロのルートは、現在では、トレッキングコースとなっている)

ソゲリ国立高校訪問
仙台育英高校から派遣されている石井センター長と面談し、絵本や学用品をプレゼントする。この高校はPNG各地から高校2,3年生が選抜されて集まっており、ソマレ初代首相も同校を卒業した。

午後、マダン経由でウエワクへ、イン・ウエワク ブティクホテル泊

 

8月25日(金) ウエワク
午前10時
ウエワク平和公園慰霊碑前で、全ニューギニア戦没者合同慰霊祭
中山宮司の祝詞奏上に次ぎ、長野県ニューギニア会を代表して本田昌彦会長、 西部・マノワクリで父上を亡くされた秀平さんが追悼の言葉を述べ、厳粛な中でこの地で戦没した15万人にのぼる御霊の安らかなることをお祈りし、「ふるさと」を献歌して式を閉じた。

午後3時
コイキン・マリックの観音像前にて慰霊祭
兄上が第39自動車隊に所属し、ウエワクで亡くなられた荻原さんのゆかりの地、 荻原さんは永年の念願がかない、亡きお兄さんに向かい「兄さん、ようやく迎えに来ました、一緒に日本に帰りましょう」と語りかける姿に一同感涙にむせんだ。
(県ニューギニア会が昭和55年に建立したこの観音像は、慈悲深いお顔で祖国に向かって建てられています。この地の管理を委託しているバカラさんの娘夫妻が、草刈りなどの手入れを行っており、会からは心付けと品物を進呈した)

 

8月26日(土) ウエワク
午前7時
山岸幸子さんの父上の亡くなられた八幡山の陣地跡へ、山岸さん親子と竹沢一重さん、中山宮司の4人で向かい、持参した観音様の前で慰霊式。残り6人は洋展台、高射砲陣地跡、ブランデー高校を巡る。午前11時からはサワリン集落で慰霊式、山岸さんが父上への思いを込めた追悼の言葉と「椰子の実」の歌を捧げた。

午後2時
竹澤キヨ江さんの父上の終焉の地、モロネにて慰霊式。竹澤さんはこの地に平成17年から連続して訪問しており、住民とも顔なじみが多く、歓迎を受けた。 式の後、地元の小学校を訪問して学用品などを進呈した。
                    
午後7時
川畑さんが経営するニュー・ウエワクホテルにて夕食会、ホテルは見違えるほど綺麗に整備されており、90歳を越えた川畑さんはお元気で、日本食に舌鼓を打ちながら楽しい一時を過ごした。

 

8月27日(日) ウエワク西方地域の巡拝
午前8時
ホテル出発、ニューギニア戦最後の戦いであるアイタぺ作戦のため、日本軍が進軍した旧軍用道路を西に進み、ボイキン、ブーツ飛行場跡地で焼香、ブーツ小学校を訪問して学用品をプレゼントした。
ソナム集落ではニューギニア会建立の墓標前にて慰霊式、墓標周辺は綺麗に整備されており、現地住民の配慮に感謝した。

 

8月28日(月) ウエワクからマダンへ移動、マダン近郊の戦跡巡拝
午前6時
ウエワク発マダンへ、マダンリゾート・ホテルにて朝食後ヤポブヒル簡素な慰霊式。その後、陸軍北飛行場跡を訪ね爆撃機「呑龍」の残骸を見る。
両翼は落ちてかつての面影はないが、、エンジン部分は残されており、往時を偲ばせていた。今回初めて訪れたアメレーにて簡素な慰霊式。

 

8月29日(火) マダン西方ハンサ方面慰霊巡拝
午前7時
ホテル出発 メギア―ウリンガン―ボギアを経由してハンサへ
ハンサ湾を望む旧桟橋跡で慰霊祭 倉敷から参加した藤原さんの叔父さまが亡くなられた場所。さざ波が打ち寄せる美しい湾を展望し、中山宮司の祝詞に続き藤原さんの追悼の言葉に全員胸を打たれる。その後、旧飛行場跡地で陸軍の爆撃機「呑龍」の残骸を見る。帰路ウリンガン集落に立ち寄り教会へ千羽鶴をプレゼントして喜ばれた。

 

8月30日(水) マダンからポートモレスビー経由帰国
午前6時 ホテル出発マダン空港―ポートモレスビー着
8時20分 市内観光―ローカルマーケット―レストラン・大黒にて昼食
午後2時20分 ニューギニア航空直行便で帰国の途へ、午後8時成田空港到着

 

■ おわりに

今回の慰霊巡拝は長野県、栃木県に加えて岡山県から2名の方が参加いただき、慰霊の方式も従来より充実したものになりました。
参加された皆様は、それぞれのゆかりの地での慰霊祭に満足して頂き有意義な旅となりました。関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。

今回の旅でも首都・ポートモレスビーの変貌ぶりには驚かされました。特に来年はAPECの国際会議が同国で開かれることとなり、幹線道路やビルの建設ラッシュに拍車をかけています。自動車も増加して交通渋滞も発生しており道路の整備が追い付かない状況です。
年率10パーセントの経済成長に支えられ、貨幣経済が進み世界の最貧国の一つに留まっていた同国も、目に見えて国民の所得水準が向上しつつあります。
急速な経済の発展に伴う光と影の部分も顕著となり、所得格差の増大、都市部における治安の悪化が心配されています。

しかし、「地上最後の秘境」と形容されるパプアニューギニアは、依然として変わらぬ魅力が多く残されています。美しい大自然、青い海、おいしい果物など、また、そこに住む人々は極めて親切で人懐っこく、私たちをいく度となく誘い込む不思議な力があります。

慰霊巡拝の旅も、参加希望者の減少に対応するために、新たな参加者の掘り起こしと共にリピーターの勧誘も必要です。当会といたしましてもこの事業を、今後とも継続させていくための努力をしてまいります。会員皆様の更なるご支援ご協力をお願いいたします。

平成29年9月1日

平和公園での合同慰霊祭に臨む慰霊巡拝団員(ウエワク)
平和公園での合同慰霊祭に臨む慰霊巡拝団員(ウエワク)

 

ソゲリ国立高校を親善訪問生徒らと交流(ポートモレスビー)"
ソゲリ国立高校を親善訪問生徒らと交流(ポートモレスビー)

 

戦跡訪問でマダン北飛行場跡の蜜林に残る陸軍爆撃機「呑龍」の残骸(マダン)
戦跡訪問でマダン北飛行場跡の蜜林に残る陸軍爆撃機「呑龍」の残骸(マダン)