第2回ニューギニア写真展(中野市)の報告
長野県ニューギニア会は、長野県中野市でパプアニューギニア写真展を開催し、600名余りの参観者が訪れて下さって盛況のうちに幕を閉じました。この写真展の詳細を報告します。
1.写真展の内容
この写真展の内容は以下のとおりです。
名称: パプアニューギニア写真展
〜 恒久平和へのメッセージ 〜
とき: 2000年8月8日 〜 8月26日
ところ: 長野県中野市 中野陣屋・県庁記念館
http://www.m-shinano.com/nakano/jinya.htm
主催: 長野県ニューギニア会(写真・展示品提供)
企画・運営: 中野陣屋・県庁記念館記念事業実行委員会
展示テーマ: @戦争のあとかた A現地慰霊祭 B現地のこどもたち
C学校訪問 D自然と生活 E祭(シンシン)
2.パプアニューギニア写真展を終わって(実行委員会の報告)
写真展の企画・運営に当たっていただいた中野陣屋・県庁記念館の清水康雄様から詳細な報告を寄せていただきましたので、以下に掲載します。
今年で26回、慰霊だけでなく、学校訪問など親善団体として、現地の人と交流・友好を深めている長野県ニューギニア会のお話を聞き、今回の企画展を開催させて頂きました。
夏休み特別企画−−戦争と平和−−ふるさと・世界・日本を知ろう「パプアニューギニア写真展 〜恒久平和へのメッセージ〜」と銘打って、8月8日〜8月26日の間実施いたしました。
県外の方(お盆の里帰りで知って)をはじめ、県内各地、近隣の市町村、市内の方々、会期中600名を超える来館者となりました。
他の展示会と大きく違っていたことは、80歳をこえる年配の方とお孫さんまで5〜6人で見える方が多かったことです。
訪れた方の様子の一端をお伝えしますと:
@ 長兄は定年を過ぎたと思われる3兄弟、「ニューギニアへの道」の冊子の中で父の戦地、戦死された場所を見つけ、その周辺の写真を見て「やっと、おやじの戦死した所がわかった。この写真集を みるのは今回で最期、”良く記憶にとどめておくんだ”」とジット見入って、写真に納めて帰られた方。
A 白馬村から見えた人、義父がいた思い出の地ですが、どこの部隊で、どうなったかは、今もわからないのです。
B 生きて帰られた方、「こういう時代になって、子供や孫に話すこともないが、食べ物だけはどうしても粗末に出来ない」と話す人。
C 戦死・病死した人の「焼いた小指」は、一人残らず日本へ送ったのだが届かなかった。
D ドラム缶で塩を作った。
E 手りゅう弾を海に投げ、浮いた魚で生きのびた。
F アメリカ兵のおきざりにしていった、自動小銃のおかげで、毒ヘビなども食べた。それで生きられた。
G 現地の人と仲よくなり、話しも出来たので生きられた。
H 「ほとんどの戦友が亡くなっているので、ニューギニアで生きて帰ったとは、大きな声でいまだ人にはいえない」と話す人。
I 今回の写真展を見て、今はなき祖父、父、兄等の地を訪ねたい、という方も4〜5人おられました。
その他、現地の話しを聞ける人が会場に居てほしかった、他の地区でも開催してもらいたい、などの希望される方もおられました。
最後に、会場の入り口の手帳に記入された方だけでも165人、募金をしてくださった方44人、自由にお持ち帰り下さいと置いた絵ハガキ630枚も25枚の残りだけでした。それらを参考にしてみますと、600人以上の方が訪れて下さったものと思います。
長野県ニューギニア会、訪れてくださった方々に御礼申し上げ、中野陣屋・県庁記念館からのお礼とさせていただきます。ありがとうございました。
平成14年8月29日
中野陣屋・県庁記念館 清水康雄
3.来館者の声
パプアニューギニア写真展会場入り口の手帳に記入された来訪者の感想の一部をご紹介させていただきます(記入順)。
・”戦争の痕跡”の前で思わず合掌しました。こんなバカを二度と繰り返さないためにも貴重な催しでした。感謝します。 (長野県中野市、高野様)
・戦争は二度とやってはいけない。 (長野県篠ノ井市、両角様)
・私は、ニューギニア島ウエワク、ブーツ付近に本島6年半おり、戦友がなくなり、健康で帰れたのが幸いと思います。ありがとうございます。 (須田様)
・ニューギニア会いつもありがとうございます。皆様のおかげで、本日、父の最期の地ニューギニア、57年の歳月・・・。父を想い、また戦争のおそろしさ、かなしさ、くやしさ。世界の平和を願い、二度とこのようなことのないことを希望し、子供たちが父のない生活をしないことを。 父の弟 今年4月 永眠し、母も81才をこえ、さみしいお盆でしたが、本日、ニューギニア写真展を拝見できて本当にうれしく、皆様に感謝をいたします。 (長野県小県郡武石村、桜井様)
・「小林治夫」をご存知の方がありましたら、ご連絡ください。 (長野県小県郡長門町、小林様)
・私の兄が昭和19年ウエワクで戦死、詳細は不明ですので聞きたかったが、説明する人が不在で残念です。 (長野県長野市、米田様)
・(ニューギニアの)子供たちの絵と眼差しに感銘しました。 (長野県中野市、小林様)
・部隊もわからず、どこでどうなったかわからない。義父が居た思い出の地です。 (長野県白馬村、横山様)
・当時を思い出しました。 (長野県中野市、宮島様)
・兄を思い出しました。 (長野県中野市、金子様)
・私の兄がウエワクで戦死、現地の事わかり有難うございました。幸い当番兵の方が無事で兄の墓参り、爪や髪を持って詳細に話してくれました。 (長野県上田市、石井様)
・昭和19年11月に父をニューギニアで失いました。会の係のお話が聞きたく佐久市から来たのですが、残念でした。一度、慰霊に行ってみたいと思っています。 (長野県佐久市、根岸様)
・戦争はやってはならない。「生きて帰れぬニューギニア。死んでも帰れない。」このことは忘れてはならないと思う。 (長野県中野市、小林様)
・祖父がニューギニアで戦死しています。父と母が来ましたがちょうど休館日で残念でした。 (長野県中野市、町田様)
・私の父もニューギニアで戦死しました。私がまだ生まれる前に戦地に行ったそうです。母は悲しい毎日を過ごしたようです。戦争は二度とあってはならないと思います。長野県ニューギニア会があるのは、今回初めて知り、写真を見て現地のことが少しわかったような気がします。ありがとうございます。 (高木様)
・帰郷する毎に、いろいろな写真展を拝見しております。今日のパプアニューギニア展はすばらしいですね。「大自然が微笑む神秘の国」のテーマがよく出ていました。作者(カメラマン)に「敬意」を表します。 (竹井様)
・ニューギニア巡拝に行ったつもりで来ました。ニューギニアへ行ったことがなつかしく思い出されました。 (宮島様)
・主人の父が、主人が1才4ヶ月で、ニューギニアで戦死しました。義父は主人の顔を知りません。義母は一目主人を戦地に行く義父に会わせたいと必死に新潟まで行きましたが、十日町で、大雪で、新潟まで行くことが出来なかったそうです。三日も、大雪のため、汽車が十日町で足止めしてしまったそうです。その義母も主人が4才の時病死してしまいました。家を新築したとき、義父と義母が別々の地に眠っていましたが、新築を期に、二人をひとつのお墓に入れてやりたく、墓地も購入しました。
二人でニューギニアに行って、せめて義母に義父がなくなった地の土だけでもと思い、いろいろ手をつくして、またいろんな方の援助もあり、その運びとなりましたが、出発寸前で東ニューギニアと西ニューギニアの違いで断念せざるを得ませんでした。義父のお位はいを茨城に行った時、主人は泣きながら、お墓の土をかきあつめていました。俺のめんどうを一切みてくれない両親の墓なんてお参りしないといっていた主人が泣きながら土をかきあつめていました。戦争はこくです。両親を 亡くした主人は、義母の実家で天涯孤独の人生を送らなくてはならなくなってしまったのですから。
一度のがしたニューギニア訪問の機会があったら、義母の代わりに二人でたずねたいと思います。どうか、訪問の手ずるをさぐりたく、今日主人と二人でたずねて来ました。その機会をおしえて下さい。お願いします。 (長野県中野市、椎名様)
・第八回慰霊巡拝に参加させていただきました。当時を思い出し、戦没者への思慕の情が深まり感慨を深めました。よい催しで担当の方にお礼申し上げます。 (長野県上田市、滝沢様)
・祖父の戦死したパプアニューギニアの現地の状況を是非拝見させて頂きたく、上田からやって参りました。当時の軍隊の姿を映した本を参考にしながら、写真をみてまわりましたが、自分の今の年令より早く亡くなった祖父(みたことのない)の姿が自分の頭の中に甦ってきました。どんな苦しい思い、どんなに生きたかった切ない思いが自分にかきたてるものを感じました。
戦争というものは本当に残酷です。 自分の父は今年70才になりました。その半分の年で亡くなった祖父、そのあと何をしたかったのか聞いてみたいです。その若い人の人生を奪った戦争 このような催しで再び甦らせてくれます。自分も祖父の果たせなかった夢をかなえられるよう頑張って生きていこうという気になりました。有難うございました。 (長野県上田市、堀内様)
・私の兄がニューギニアにて戦死、皆様のおかげで法要をしてくださった事に本当に感謝申して居ります。写真を見せて頂き、安心しています。ありがとうございました。 (下田様)
・写真展の企画をありがとうございました。これからもより工夫のある企画がなされることを願っていますので続けていって下さい。ありがとうございました。 (長野県長野市、永井様)
・写真展を見て、あらためて、胸のしめつけられる思いがして、涙が出てたまりませんでした。現地に行ってこられた皆様、本当にご苦労様でした。 (酒井様)
(以上)
長野県ニューギニア会
@Copyright 長野県ニューギニア会 2002