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慰霊巡拝

第32回 東部ニューギニア慰霊巡拝

第32回東部ニューギニア慰霊巡拝団の旅は、8名が参加して平成21年9月5日から12日までの日程で行った。今回の参加者は、大日方辰夫団長以下長野県から丸山東洋治さん(築北村)鈴木忠重さん(野沢温泉村)の3人、それに近藤美由紀さん(倉敷市)富田英二さん(小樽市)富田ふみ江さん(埼玉県)鈴木幸吉さん、鈴木春雄さん(茨城県)。

ポートモレスビーからマダン、ウエワクに入りウエワク慰霊の森、コイキンマリック観音ソナム集落、ヤボブヒルなど4ヶ所で慰霊追悼式を行うと共に、小中学校を親善訪問して現地の人々との友好を深めた。

旅程表

月 日都市名日 程
9月5日成田空港ニューギニア航空にてポートモレスビーへ
9月6日ポートモレスビー

マダン
ウエワク
ポートモレスビー到着
国内線にて マダンへ
国内線にて ウエワクへ
平和公園慰霊の森、PNG メモリアル、コイキン観音、ボーイズタウン、高射砲陣地跡、ウォーム岬など
9月7日ウエワク終日方面別コース
( 1 ) ソナム方面 ( 慰霊祭 )
( 2 ) セピック川カンバランバ
( 3 ) ムッシュ島
9月8日ウエワク終日方面別コース
( 1 ) セピック川カンバランバ
( 2 ) ムッシュ島
( 3 ) その他 希望地
9月9日ウエワク
マダン
国内線にて、リゾート地マダンへ
ヤボブヒルにて合同慰霊祭、ビルビルビッジ、アムロン、アレキシスハーフェン、戦車、航空機残骸、バレック自然保護区など
9月10日マダンマダン湾クルーズ、ショッピングなど
9月11日マダン
ポートモレスビー
国内線にてポートモレスビーへ
戦争博物館、国会議事堂、植物園など
9月12日ポートモレスビー
成田空港
成田空港へ
成田空港到着・解散

第32回 東部ニューギニア慰霊巡拝報告

平成21年9月5日~12日 大日方 辰夫(団長)

今回の慰霊団の構成は、長野県から3人それに北海道、茨城、埼玉、岡山の各県から5人、ガイドさんを入れても9人という小さな慰霊団となった。

9月6日午前4時30分、ポートモレスビー国際空港に到着。入国検査では「人数に対し荷物が多すぎる」との理由で、手間取りだいぶ時間がかかってしまった。マダン経由で昼前にウエワク空港に無事到着した。

ウエワク

ウエワクホテルでの昼食もそこそこにコイキン観音へ向かう。30年前に会の事業として建立した観音菩薩様は優しいお顔で一行を迎えてくれた。敷地内はきれいに草刈がされており、世話をお願いしているバカラ一族にお土産と管理料を渡した。この後18軍司令部がおかれていた洋展台へ。ここはウエワク湾が一望できる見晴らしの素晴らしい場所だが、敷地に入るのに10キナの料金が必要になった。近くにある高射砲陣地は治安上問題があるとの理由から、入り口近くにある一門だけの見学となってしまった。

ウオーム岬から阿部岬を回り、慰霊の森平和公園に急いだ。公園内は改装工事中でやむなく右手にある政府が立てた石碑の前で慰霊追悼式を行う。この霊園は15万人にのぼる戦没者追悼のため、昭和56年PNGから敷地の提供を受け国と戦友会によって整備されたもの。持参した日の丸とニューギニアの国旗を掲げ祭壇を整えた。ハンサで父親を亡くした鈴木さんの慰霊の言葉が薄暗くなった公園の闇の中に吸い込まれていった。

7日はソナム集落行き。昭和19年の8月、アイタペ作戦に敗れ食料も尽きた日本軍がウエワクへの敗走で「白骨街道」となったアイタペへの道。3日前の雨でぬかるみが多い悪路を猛スピードで走り、昼過ぎに到着した。

集落のほぼ中央にある墓標はきれいに管理されていて、長年にわたり世話をお願いしているピーター・ルーシー夫妻に村の人も参加して慰霊祭を行った。

セピック

8日は日本軍がマダンからウエワクへ転進する際、最大の難所だったセピック川ヘ。午前8時半にホテルを出発、正午近くにアンゴラムの船着場に、船外機をつけた丸木舟に乗り込み、約30分ほどでカンバランバに到着。村はシンシンの練習中だった。

川のほとりで線香を手向けたが、村人も出てきて一緒に祈ってくれた。セピック川は想像以上の大河だった。何日もこの大湿地の中を水に浸かって行軍して飢えと病に耐えられず倒れた兵士たち、この川底にいったいどれくらいの英霊が眠っているのか。

コイキン観音前で会員一同
コイキン観音前で会員一同
セピック川カンバランバの舟着場
セピック川カンバランバの舟着場
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マダン

9日はウエワクからマダンへ移動。ヤボブヒルの碑前で慰霊追悼式を行う。碑の周囲はきれいに手入れがされていた。ドミックという少年とその父親がやってくれたとのこと、お礼にTシャツを持たせてやった。

この後、ヤボブヒルの北約20キロのアレクシスハーヘン近くの旧陸軍飛行場跡地に到着。

背の高い雑草に覆われた細い道を進むと、林の中に飛行機の残骸が横たわる。ところが、ボロボロになりながらも半世紀以上にわたり、雄姿を見せていた陸軍の爆撃機はすっかり変わり果てていた。胴体が二つに割れ、前のめりの無残な姿にしばし呆然としてしまった。さらに驚いたことに、機体にはたくさんの落書きが英字に混じって、日本語のものが見受けられた。これまでの雄姿を知るものとして、なんともやりきれない気持ちだった。

10日は美しいマダン湾のクルーズを楽しんだ。湾内のシーア島を訪れ、日本軍の防空壕跡を見た。当時60人ほどの守備隊がいたと村民が話してくれた。

今回は8人という小さな慰霊団となりましたが、天候にも恵まれ、所期の目的を果たし全員無事に帰国できたことに感謝いたしまして、慰霊巡拝報告と致します。

密林に雄姿をとどめる爆撃機(アレキシスハーヘン)
密林に雄姿をとどめる爆撃機
(アレキシスハーヘン)
セントミカエル 小学校訪問(マダン)
セントミカエル 小学校訪問
(マダン)
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