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慰霊巡拝

東部ニューギニア慰霊巡拝団派遣事業報告(2016年8月)

長野県ニューギニア会は、東部ニューギニア慰霊巡拝団の派遣を平成28年8月24日から31日まで8日間の日程で実施した。

今回の訪問団人は総勢13名。栃木県護国神社との共同事業として催行した。
県ニューギニア会からは本田昌彦会長、岩間豊子さん(松川町)関口かほるさん(高森町)の3名。それに山岸幸子・靖志さん親子(東京都)竹澤一重・キヨ江さん夫妻、(鹿沼市)小野達雄さん(佐野市)田村智亮さん(横浜市)牛田智光さん(小浜市)中山郁、稲貴洋栃木県護国神社神官、片桐(株)WBC添乗員が参加した。

慰霊巡拝団は、ニューギニア航空の直行便で首都・ポートモレスビーに入り、ニューブリテン島のキャンベに2日間滞在、タラセア方面の戦跡めぐりとカドカでの慰霊祭を行った。その後、ウエワクへ移動平和公園慰霊の森で全ニューギニア戦没者の合同慰霊祭を執り行った。ウエワク地区ではゆかりの肉親が眠る各地を巡り慰霊式を行い、現地の小学校を訪問して、学用品などを贈り友好親善を深めた。

第37回 東部ニューギニア慰霊巡拝報告
(平成28年8月)

派遣団長
長野県ニューギニア会長 本田 昌彦

■ はじめに

長野県ニューギニア会による現地慰霊巡拝は、昭和52年から始まり今回で37回となりました。
今回の特色はこれまで一度も訪れたことがなかったニューブリテン島西部の州都キンべを訪問したことです。この地は、ゆかりの方も限られていて日本からの慰霊訪問もなく、遺骨の収集もほとんど進んでいない模様でした。

今回参加された方の中に日蓮宗のご住職がおられ、仏式の法要をしていただくこともでき、同時に護国神社神官による神式の慰霊祭と亡き御霊に対し、これまでにない丁重な供養がなされたことに心から感謝しています。

期間中は好天にも恵まれ、日程を順調に消化して所期の目的を十分に果たした慰霊の旅となりました。以下、日程に従い報告いたします。

 

8月24日(水)
成田空港 午後9時5分ニューギニア航空にてポートモレスビーへ

 

8月25日(木) ポートモレスビー-キンべー戦跡巡拝
(1) 早朝5時 ジャクソン国際空港到着、空港は年々整備され国際空港の風格を備えつつある。キナに両替1キナ40円、円高キナ安となっている。

(2) 朝食後、国内便にてホスキンス空港へ、到着後西方約60キロのキンべへ

(3) タラセア方面戦跡巡拝  この地は昭和19年3月米軍が上陸、日本軍は陣地を放棄して撤退したところ。旧陣地跡で簡素な慰霊式を行う。

(4) キンべは西ニューブリテン州の州都で、道路も整備され本島とは違った雰囲気が漂う街でした。

 

8月26日(金) キンべ西方約50キロのカドカにて慰霊祭
この地は牛田さんの叔父が戦死したところで、集落西の小高い山に向かい祭壇を設け慰霊式を行う。外部からの訪問者もない地域のためか現地人がもの珍しそうに式の様子を見守っていた。

 

8月27日(土) ポートモレスビー-ウエワクへ空路移動
午前、ホスキンス空港からポートモレスビーに移動して日本人経営の志村ロッジで昼食。午後の便でマダン経由でウエワク空港到着、ウエワク・ブディクホテル泊。

 

8月28日(日)全ニューギニア戦没者合同慰霊祭と郊外の戦跡巡拝
(1) 午前、平和公園内の慰霊碑の前にて合同慰霊祭を行う。
護国神社の中山宮司の祝詞奏上に次ぎ、長野県ニューギニア会を代表して本田が、続いて岩間、小野、田村さんがそれぞれ思いを込めて追悼のことばを捧げた。最後に「ふるさと」を献歌して、厳粛な中に先の大戦でこの地で亡くなった15万人の御霊の安らかなることを祈りました。。

(2) 午後、近郊の洋展台(ミッションヒル)の第18軍英霊碑と高射砲陣地跡を巡る。その後、コイキン・マリック観音像前にて慰霊式を行う。この地の管理をお願いしているバカラさんにお礼の品を渡す。

(3) 夕食は、慰霊巡拝の際お世話になる川畑さん経営のニューウエワクホテルへ。エビフライやワニの肉など日本人好みの料理に舌鼓を打ち、川畑さんを囲んで歓談した。

 

8月29日(月)ウエワクからゆかりの地を巡り慰霊式、小学校訪問
(1) 午前、竹澤さんの父親ゆかりの地・モロネにおいて慰霊式。ご夫妻は10年ほど前から、毎年この地を訪れており、現地の人たちとも馴染み深く温かく迎えられた。近くのトモロー・プライマリースクールを訪問、学用品などを贈り、校長先生はじめ児童たちに喜ばれた。そのお礼に、児童たちが日本語の歌と踊りを見せてくれた。

(2) 午後、山岸さんの父親の終焉の地・サワリン集落で慰霊式。
日本より持参した観音像の開眼法要を行い、お父さんの愛唱歌・「椰子の実」を斉唱して式を閉じた。また帰途、岩間さんの父親のゆかりの地・鶴巻川で読経と焼香をした。

 

8月30日(火)ウエワクより西方面への巡拝と慰霊式
ニューギニア戦最後のアイタぺ作戦のため、日本軍が進軍した旧軍道跡をたどる。ボエキン集落とブーツ陸軍飛行場跡にて焼香。ソナム集落ではニューギニア会建立の墓標前にて慰霊式を行う。今回はゆかりの方はいなかったが、この地では松本50連隊編成の多くの将兵が戦死したとされ、ご冥福を祈った。

 

8月31日(水)空路 ウエワクーポートモレスビー-成田
ポートモレスビーではポパナ(豪州軍戦没者墓地)を訪問、市内のマーケットでお土産を買う。昼食はいつものレストラン・大黒、支配人の富田さんもお元気で活躍していました。

午後2時10分、ニューギニア航空直行便で帰国の途へ、午後8時成田空港到着。

 

■ おわりに

今回の慰霊巡拝は全行程天候にも恵まれ、未知の西部ニューブリテン島の巡拝を始め、それぞれのゆかりの地を巡り、参加者全員満足して旅を終わることができ、関係の皆さま方に心から感謝申し上げます。

慰霊巡拝の旅でパプアニューギニアを訪れるたびに、その変貌ぶりに驚かされます。特に、首都のポートモレスビーでは、高架道路橋やビルの建設ラッシュなどインフラの整備が急速に進んでいます。
自動車の数も増加して交通渋滞が発生しています。信号機がない環状交差点(ラウンドアバウト)では、平日でも交通渋滞が生じており、以前では想像することもできませんでした。

年率10%を越える経済成長に支えられ貨幣経済が急速に進み、雇用機会の増加に伴い所得の増加につながっているようです。従来の農業中心の自給自足の生活から、働く場所ができ、賃金を得る生活パターンに徐々に変化してきているように見えました。

具体例として巡拝の旅で行う慰霊式に、現地の住民が集まってこなくなりました。理由を聞くと「大人は都市部の工場で働き、子供は学校へ通うようになった」とのことです。
貨幣経済の浸透、グローバル化の波もこの国にも押し寄せており、これからは所得格差の拡大、治安問題が不安要素となってくることも懸念されます。

戦後71年が経過しましたが、「地上最後の秘境」と形容されるニューギニアは大自然が残る美しい国です。青い海、緑濃い山々、美しい草花などに心が洗われます。人情味ある現地の人々、人懐っこく目の澄んだ笑顔の子どもたちに触れることができる場所と言えるでしょう。

現地慰霊巡拝は当会にとって重要な事業の一つです、これからも継続して実施してまいります。そのためには一度は行ってみたい人を勧誘するとともに、リピーターの掘り起こしを進めてまいります。
今後とも会員の皆様はじめ、ニューギニアに関心を寄せる全国の方々のご支援とご協力をお願い申し上げます。

合同慰霊祭で追悼のことばを捧げる本田会長(ウエワク平和公園)
合同慰霊祭で追悼のことばを捧げる本田会長(ウエワク平和公園)

 

ゆかりの地で行なわれた慰霊式(ニューブリテン島カドカ)
ゆかりの地で行なわれた慰霊式(ニューブリテン島カドカ)

 

コイキン・マリック観音像での慰霊式(ウエワク)
コイキン・マリック観音像での慰霊式(ウエワク)

 

小学校を親善訪問、児童と交流した(ウエワク)
小学校を親善訪問、児童と交流した(ウエワク)

 

小学校を親善訪問、児童と交流した(ウエワク)
カドカでの慰霊際に臨んだ参加者(ニューブリテン島)