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慰霊巡拝

東部ニューギニア慰霊巡拝団派遣事業報告(2019年8月)

長野県ニューギニア会は、東部ニューギニア慰霊巡拝団の派遣を令和元年8月24日から31日まで8日間の日程で実施した。

今回の訪問団員は総勢15名で、栃木県護国神社との共同催行として実施した。本会からは本田昌彦会長、小池博之副会長、安川叡春幹事長ら役員に安川はるみさん(佐久市)安川尚美さん(東京都)山岸靖志さん(軽井沢町)山岸幸子さん(東京都)山岸真太郎さん(同)の8名。それに竹澤一重・キヨ江さん夫妻(鹿沼市)佐々木季子さん(宇都宮市)横山洋子さん(同)、栃木県護国神社から稲寿宮司、菅浩二権禰宜、越口正一神官が参加した。

慰霊巡拝団は、成田空港からニューギニア航空で首都・ポートモレスビーに入り、ポポンデッタ、ウエワク、ゴロカを訪ねゆかりの地で6回の慰霊祭と戦跡をめぐり、旅の後半はハイランド地方の高地民族を訪ね友好親善に努めた。

第40回 東部ニューギニア慰霊巡拝報告
(令和元年8月24日~31日)

長野県ニューギニア会の東部ニューギニア現地慰霊巡拝の旅は、昭和52年に始まり今年で40回目を迎えた。節目の催行ということで8名が参加したが、この中に英霊に対して孫、曾孫にあたる若い世代から2人が同行して、70余年前の大戦で散華した英霊に慰霊の誠を捧げ注目された。

慰霊巡拝の主な旅程は次の通り

●8月24日(土)成田―ポートモレスビー移動
●8月25日(日)モレスビー―ポポンデッタ移動

ブナ地区「日本国政府建立戦没者碑」慰霊祭、安川さんの父上の終焉の地。昭和17年12月から翌年2月にかけ南海支隊を主力とする陸・海軍守備隊がブナ・ギルワ・パサブア地区で米軍との戦闘により玉砕した場所。現地住民の手により綺麗に整備された碑前では、護国神社神職により日本から搬送された祭壇が設えられ3人の神官が厳粛な祭典を斎行した。安川さんが思いを込めた追悼の言葉を述べ、全員で「椰子の実」と「ふるさと」の歌を捧げた。

●8月26日(月)ポポンデッタからポートモレスビー経由ウエワクへ
午後3時からウエワク平和公園慰霊碑前にて、全ニューギニア戦没者合同慰霊祭を斎行。稲宮司の祝詞奏上に続き、県ニューギニア会を代表して本田会長が追悼の言葉を述べ、ニューギニア全土で15万人に及ぶ御霊の安らかなることをお祈りし、「ふるさと」を献歌して式を閉じた。

●8月27日(火)ウエワク地区ゆかりの地へ
午前中、2班に分かれてウエワク近郊のゆかりの地、戦跡などを巡拝
A班は山岸さんの父上が亡くなられた八幡山の陣地跡へ、B班は洋展台、ウオーム岬など戦跡をめぐり、ソワリン村にて合流して慰霊祭を斎行。
山岸さんが思いを込めた追悼の言葉と「椰子の実」「ふるさと」など故人の愛唱歌を捧げた。
午後は、ウエワクの南約50キロのモロネ集落に向かい、竹沢キヨエさんのお父様が亡くなった地で慰霊祭。キヨエさんはこの地に平成17年から連続して訪問しており、現地の人々とも顔なじみが多く大歓迎を受けた。

●8月28日(水)ウエワク地区ゆかりの地へ
午前9時、県ニューギニア会が昭和55年8月、建立したコイキン観音前で慰霊祭を行う。稲宮司の祝詞奏上、本田会長が追悼の言葉を述べ、全員が玉串を捧げた。式後地主のパカランさん一家に、本田会長からみやげとお礼を手渡し、今後の維持管理を依頼した。
午後は、ウエワクより西方のゆかりの地へ。昭和19年7月、第18軍が連合軍に最後の決戦を挑んだアイタぺ作戦への道程を西へ、ボイキン、ダグア、ブーツと進みソナム集落で慰霊祭を行った。この地は、松本50連隊の将兵500人で編成された陸上勤務76中隊(猛4642部隊)が、アイタぺ作戦の兵站(武器、弾薬、食糧の搬送)に従事、123名が戦没した場所。30年ほど前の慰霊巡拝の際、慰霊の墓標が建立され、集落の住民により管理されている。
集落の広場にある慰霊の碑の前に祭壇を設え、厳粛な慰霊式を執り行った。

●8月29日(木)ウエワクからポートモレスビー経由ゴロカへ
ゴロカはイーストハイランド州の州都で、標高1600メートルの高原の町で、
ポートモレスビーから飛行機で約1時間の距離にあり、慰霊巡拝では初めて訪れる地域。ニューギニアコーヒーの産地として、また、毎年9月16日の独立記念日前後の数日間開催される伝統的な民族踊り(シンシン)の祭典『ゴロカショー』は有名で、海外からも多くの見物客が訪れる。
昼食後、ゴロカマーケットや市内を散策。

●8月30日(金)ゴロカ滞在
ゴロカの北西10キロにあるアサロ渓谷に住むキミニビ族のマッドマンダンスと、現地の住民が調理する手作りの野外昼食を楽しんだ。午後はマッカーシー博物館とマーケット、コーヒー焙煎工場に立ち寄り、特産のコーヒーなどお土産を買い求めた。

●8月31日(土)ゴロカ―ポートモレスビー―成田空港帰国

 

現地慰霊巡拝の旅・節目の40回、所期の目的を果たし帰国

長野県ニューギニア会長 本田 昌彦

今回の慰霊巡拝の旅は40回の節目の年となり、栃木県護国神社との共催により、15名の方々が参加した。現地東部ニューギニアでは期間中天候にも恵まれ、参加された皆様はそれぞれのゆかりの地での慰霊祭や、現地住民との温かい交流などにも十分満足して頂き、有意義な旅となりました。
特に、祭壇一式を現地に搬送し、遺族のゆかりの地で6回に渡り祭典を斎行していただいた栃木県護国神社の稲宮司様はじめ3名の神職の方々の御奉仕に対し心からお礼申し上げます。

さて、最近のニューギニアの国内事情についてご報告いたします。
2011年以来8年間続いたオニール政権が倒れ、5月30日にジェームス・マラペ新首相が就任しました。同氏は、これまで金融大臣を務めていた48歳の若手政治家で、安倍総理からの祝意に対し「これまでの日本からの支援に心から感謝する、貿易を含む様々な分野で協力関係を強化したい、また、遺骨収集には引き続き協力していきたい」と述べられた。

同国では、2014年のLNG(液化天然ガス)の輸出を皮切りに、経済構造も大きく変わり、国家予算が急膨張する中、中国やインドなどからの経済進出も顕著になり債務が急増するなど経済運営の不安定さが増しているという。
特に昨年11月、APECの国際会議のホスト国になり、主要都市におけるインフラ整備が急ピッチで進められている。
年率10パーセントの経済成長に支えられ、最貧国の一つに留まっていた同国も、国民の所得水準が向上しつつあり、これまで仕事がなかった奥地にも雇用を生み出し、いわゆる中産階級が育ってきたとされる。しかし、所得格差の増大、都市部への集中、治安の悪化、大幅な人口増加などが心配されています。

現地慰霊巡拝は年々参加者が減少しており、先行きが心配されています。
在PNG日本大使館によると「毎年3千数百人の日本人がパプアを訪れている、遺族会関係者を含めやや減少傾向にある、ニューギニア航空の国際路線も注視したい」としている。

当会といたしましてもこの事業を今後とも継続させていく努力を致しますが、「地上最後の秘境」とも形容されるニューギニア島には依然として変わらない魅力が多く残されています。会員の皆様はもとより、この国の豊かな風土に関心をお持ちの全国の方々のご参加を心から歓迎いたします。

平和公園での合同慰霊祭(ウエワク)
平和公園での合同慰霊祭(ウエワク)

 

合同慰霊祭に臨む慰霊巡拝団員(ウエワク)
合同慰霊祭に臨む慰霊巡拝団員(ウエワク)

 

村人総出でシンシン踊り
コイキン観音像前の慰霊祭
(ウエワク)
村人と一緒に記念写真
苑池を管理するパカランさん一家に
お礼の品を贈る本田会長
村人総出でシンシン踊り
ソワリン村での慰霊祭(ウエワク)
村人と一緒に記念写真
ブナ地「日本国政府建立戦没者碑」前で慰霊祭
村人総出でシンシン踊り
ソナム集落での慰霊祭
村人と一緒に記念写真
子どもたちと縄跳びで交流
(ソナム集落)
写真をクリックすると大きい画像でご覧いただけます。
マッドマンダンスを演じるキミニビ族の戦士(ゴロカ)
マッドマンダンスを演じるキミニビ族の戦士(ゴロカ)